永井さんが考える、食の問い。|永井玲衣さんとスープについて考えてみる vol.02

永井玲衣さんと
スープについて考えてみる
スープは、身体をあたためるだけの料理ではありません。誰かと囲んだり、ひとりで静かに飲んだり。忙しさの合間に、ふっと心をゆるめてくれる。そんな日々のなかのスープに、私たちはどんな想いを託しているのでしょうか。哲学者・永井玲衣さんに、「スープ」と「問い」について伺いました。3つのエピソードを通して見えてきたのは、「食べる」という行為の奥行きと、他者とのつながりのかたちです。

永井さんが考える、食の問い。
年間に6000人もの人々と哲学対話を重ねる永井さん。驚くことに、その中で同じ問いが繰り返されることはほとんどないという。人の数だけ問いがあり、哲学対話の中でも、「食」にまつわるものも少なくない。
「自炊料理家の山口祐加さんと一緒に、食に関する哲学対話をすることがあるのですが、そこで出てきたのが『レトルトの料理は自炊なのか?』という問いでした。これは無邪気な知的好奇心というよりも、心の叫びのようなものに近く、『自炊をできていない自分は、自分をケアできていないのではないか』という切実な思いが込もっているように感じました。食に癒されながらも、そこに悩みを抱えている人がすごく多いんです。まずは、その問いを他者と共有しながら悩みを解きほぐしていく場が、これからの食のあり方にとても大事だと思います」

一方で、食の喜びをめぐる問いもたびたび登場するという。
「 『なぜ他人が淹れてくれたコーヒーはおいしいのか』という問いも耳にしたことがあります。これはコーヒーに限らず、どんな料理にも言えますよね。全く同じ料理でも、人が電子レンジでチンしてくれた方がなぜかおいしい。
『おいしいと言われると、なぜこんなにも嬉しいのか』、『優しい味の“優しい”とはどんな意味?』などといった問いもありました。多くの人が食について悩みながらも、そのことを誰かと語り合いたいという欲望が強くあるのだと感じます」
こうした問いの背景には、言葉だけでは表現しきれない思いや感覚がある。哲学対話の場では、それらをどう表すかが重要になってくると永井さんはいう。
「哲学対話で起きているのは、頭の中で整えた言葉をただ口にする『言語化』というより、むしろ身体を使った『表現』に近い営みです。たとえば話しながら言葉に詰まって、足を組み替えたり、目をぎゅっと閉じたり。そういう仕草に、その人なりの考えや感情がにじみ出る。それがとても美しいなと思うんです。
食べるときも似たようなことが起きますよね。おいしいものを口にしたとき、なぜか眉間に皺を寄せて、苦しそうな顔になる。言葉にならないけれど、確かに伝わる感覚がある。あれもひとつの表現だと思いますし、哲学対話にも通じるものがあると感じています」
食は、私たちの暮らしのなかでごく当たり前の行為でありながら、深く個人的で、時に言葉を超えた感情を引き出す。そんな営みを、他者とともに分かち合うことが、食の本当の喜びなのかもしれない。

永井玲衣
哲学者。人びとと考えあう場である哲学対話を全国で開く。せんそうについて表現を通して対話する写真家・八木咲とのユニット「せんそうってプロジェクト」、Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『さみしくてごめん』『水中の哲学者たち』『世界の適切な保存』。