
坂口涼太郎
俳優


坂口涼太郎
俳優


連続テレビ小説「おちょやん」「らんまん」(NHK)、映画「ちはやふる」シリーズ、木下歌舞伎「三人吉三廓初買」などの話題作に多数出演。特技はダンス、ピアノ弾き語り、英語、短歌。自身初となるエッセイ集『今日も、ちゃ舞台の上でおどる』(講談社)では、「らめ活(あきらめ活動)」を提唱しながら日常を独自の視点で綴り、大きな反響を呼んでいる。

私にはいつもお芝居の現場に付き添ってもらうトリオがいる。
お芝居を始めて16年。これだけ続けているとさすがに生活の一部になって、そろそろ慣れてきたんとちゃいますか?と思えど、否。絶望するほど慣れない。
いまでも前日はわくわくと緊張で体内には荒馬が出現し、「どーどー」とにんじんを餌にして気を沈めようと思っても聞く耳を全然持たなくて、しまいにはにんじんにすら興奮し、シチューに入れようかカレーに入れようかキャロットラペにしようか、どのようにしておいしくいただこうかということを思案しながら「ひひーん」と言って心の大草原を駆け回り朝。「これが夢だったらよかったのに…」と思いながら5分おきに設定しておいた執拗なアラームをぽちぽちと解除し、ため息をつきながら布団をめくり、一点を見つめて静止。「はーあ…はーあ…」と気の済むまで桃色ではない吐息をついたあと、やっとの思いでベッドから世界への一歩を踏み出して向かうのは安息の地キッチンで、一人暮らしを始めてから共に生活しているやかんの朱美さんへ「おはようございます」とご挨拶をしてから、ずちちちちとコンロを鳴らしてお湯を沸かす。そして、3つのマイボトルを用意する。
まず珈琲豆をごりごり粉砕してから朱美さんにドリップしてもらい、一番小さなマイボトルに注ぐ。その次にフレーバーティーか中国茶をポットに入れて蒸らし、中くらいのマイボトルに注ぐ。最後に前日の晩御飯でどれだけ多めに作っても全部飲んでしまいたくなる気持ちをぐっとこらえて残しておいたお味噌汁やスープを温めて一番大きなスープボトルに注ぐ。そして、トリオの立ち位置で並べれば心のリハーサル完了。本番を迎えるために3つのマイボトルを携えてお芝居の現場に出かける。
私にとっておだしは必要必需の存在で、お弁当のお供に温かいスープがあるのとないのでは幸福度が全然違う。お日様を浴びたお布団の上で寝るか、テキーラでべたべたになったクラブの床で寝るかぐらい違う。お茶やコーヒーだって私にとってはおだしであり、立派なお料理。お湯の温度や量や時間で味わいが全然違う。すなわち、おだしのない世界は私にとってディストピア。“ディスだしトピア”なのです。
そんな冷たい“ディスだしトピア”を“湯ートピア”に変えてくれる3つのマイボトル、“マイボトリオ”のことを私は「だしまし娘」と名付けている。荒馬がひひーんと駆け回り続けて、待合室でそわそわしている私をだしまし娘さんたちは温めて、自宅のちゃぶ台の前に座っているときのように安心させてくれる。
お芝居の現場はいつまで経っても非日常であり、一世一代。「今日はどんな人に会えるんやろう。どんな俳優さんとお芝居できるんやろう。どんなスタッフさんがいるんやろう。どんなお衣装とお化粧なんやろう。どんなセットなんやろう。お芝居したらどんな気持ちになるんやろう。緊張するなあ。頑張らななあ」そんな16年前の新鮮で純粋な気持ちがいつまでも冷めないように、私はおだしを飲みながら、自分の気持ちを温め続けているのかもしれない。
お芝居の現場がない年末年始は毎年エンドレスリピートでおだしをとり続けて、いろんなお雑煮を作って温まっている。お雑煮とは何をまぜいれてもいいからお雑煮。雑でもいい、あるものでいい。とりあえずお湯を沸かして具材を入れたらそれぞれにそれぞれのおだしがでる。いろいろあるけど、試行錯誤しながら生活を続けていれば、きっとじきにいいおだしがでるはず。私の人生もお雑煮のようなもの。いろいろ入れすぎてよくわからない代物になっているけれど、そんなお雑煮があってもいいよね。
今年はどんな出会いと経験をして、どんなおだしがでるだろう。願わくはいつまでも冷めずにわくわくしながら、死ぬまで生活に感動していたい。
いつかおいしいお雑煮になれるように、今日も私はだしまし娘さんに温めてもらいながら、きっといつまでも慣れないお芝居をしてきます。
かたいものやわらかいもののんびりとひたせばじきにいいだしがでる